2007年09月30日

これまで放映したなつかしいテレビドラマ一覧(あ行-ああ探偵事務所、R-17(テレビ朝日、2001年)、愛をください(フジテレビ、2000年) 他)


★ああ探偵事務所(テレビ朝日、2004年) >>私立探偵・妻木を主人公とする探偵物。 

 本作の特徴は、『金田一』や『コナン』のように、出かけた先で偶然に事件に遭遇するのではなく、あくまで依頼人の方から案件が持ち込まれることである。『 ホームズ』の現代日本版ともいえるが、ホームズのように華麗に真相を暴きだす事はあまりなく、周囲の人々を巻き込んで、泥臭いすったもんだの末にどうにか解決に至る事が多い。
その例として、

警官殺しの犯人をおびき出すため、殺された警官の名を騙って騒動を起こす。
意味不明な暗号文を解読するため、犯人の部屋に忍び込んでヒントを探す。
 などである。
詳細はこちらから



★R-17(テレビ朝日、2001年) >>援助交際、薬物など高校生世代を取り巻く問題をリアルに取り上げた事から反響を呼んだとされる作品。「世界のクロサワ」こと黒澤明の孫である黒澤優と「世界のミフネ」こと三船敏郎の娘である三船美佳の共演が話題となった。また、放映期間中の同年6月には、生徒役の出演者(当時16)がトルエン所持により逮捕されるという事件も発生した。
エンディングでは、エンディング曲と共に視聴者(女子高校生)から寄せられた学校での実体験が挿入された。 
平均視聴率が10%未満で数字的に見れば失敗作だったが、高校生の意見を代弁したかのようなリアリティある内容は反響を呼び、それは高校生が発する大人達へのメッセージとなった。 詳細はこちらから



★愛をください(フジテレビ、2000年) >>児童養護施設で育ったヒロイン・遠野李理香は、愛を知らない女の子。18歳の時、施設での虐待や、世間からの差別から逃げるため自殺しようとしたところ、長沢基次郎という見知らぬ男性に助けられる。

日中は保育園の保母として働き、夜は>>>続きを読む
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1932年に日本で公開された映画(5月〜8月)

5月公開作品
自由を我等に(フランス) >>こちらを参照
秘密の6(アメリカ
予審(ドイツ
春を讃へる(アメリカ)
明暗二人女(アメリカ)
仮染の唇(アメリカ)
めくらの鼠(アメリカ)
13日
熊の八ツ切り事件(日本)
15日
片腕仁義(日本)
20日
さらば東京(日本)

6月公開作品
国際盗賊ホテル(アメリカ)
バッド・ガール(アメリカ)
ロマンス(アメリカ)
シスコ・キッド(アメリカ)
天晴れウォング(アメリカ)
1日
春秋編笠ぶし(日本)
3日
大人の見る絵本 生れてはみたけれど(日本)

7月公開作品
チャンプ(アメリカ) >>こちらを参照
ル・バル(フランス)
14日
旅は青空(日本)
神変麝香猫 悲願復讐篇(日本)

8月公開作品
その夜(アメリカ)
太平洋爆撃隊(アメリカ)
19日
神変麝香猫 大江戸戦慄篇(日本)

アメリカン・ニューシネマの代表的作品(いちご白書、ファイブ・イージー・ピーセス、ダーティハリー、カッコーの巣の上で 他)

『いちご白書』-The Strawberry Statement (1970)
(監督:スチュワート・ハグマン 出演:ブルース・デイヴィスン/キム・ダービー)
学園紛争に引き裂かれていく男女2人の恋。

『ファイブ・イージー・ピーセス』-Five Easy Pieces (1970)
(監督:ボブ・ラフェルソン/出演:ジャック・ニコルソン)
裕福な音楽一家に育ちながら、他の兄弟とは異なる流転の青春を送る男の心象を淡々と描く。エンディングがアメリカン・ニューシネマ的な印象的な作品。


『フレンチ・コネクション』-The French Connection (1971)
(監督:ウィリアム・フリードキン 出演:ジーン・ハックマン/ロイ・シャイダー/フェルナンド・レイ)
麻薬組織に執念を燃やすポパイことドイル刑事の活躍。体制側の視点から社会病理を描く。

『ダーティハリー』-Dirty Harry (1971)
(監督:ドン・シーゲル 出演:クリント・イーストウッド/アンディ・ロビンソン)
殺人を犯しながら無罪放免になった犯人と刑事との攻防を描き加害者と被害者の人権問題を提起している。

『破壊!』 -Busting (1973)
(監督:ピーター・ハイアムズ 出演:エリオット・グールド/ロバート・ブレイク)
麻薬組織と癒着した警察に>>>続きを読む

2007年09月29日

日本テレビ系アニメを集めてみました(その1)

日本テレビアニメ詳細はこちら


現在放送中
★結界師(ytv製作 月19:00〜19:30) >>詳細はこちら


名探偵コナン(ytv製作 月19:30〜20:00) >>詳細はこちら


★それいけ!アンパンマン(金16:30〜17:00) >>詳細はこちら
BUZZER BEATER(日テレ版)(火24:56〜25:26) >>詳細はこちら


★CLAYMORE(火25:26〜25:56) >>詳細はこちら
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2007年09月28日

なつかしいアニメ放送作品の紹介(日本テレビ系)(その3)

管理人が感動した作品の勝手な評点(観ていない作品は1個とします。)
1971年
アニメンタリー 決断 >> 詳細説明はこちらから
★★★★★新オバケのQ太郎 >> 詳細説明はこちらから
<<新オバケのQ太郎>>
ごく普通の家庭に住み着いた、一匹の間の抜けたオバケがひき起こす騒動を面白おかしく描く。藤子流生活ギャグ漫画の原点にして、初の大ヒット作で代表作。スタジオ・ゼロのメンバーである石ノ森章太郎が手伝った。『オバQ』と省略されて呼ぶことも多い。3度に渡ってアニメ化され、40年以上経った現在も根強い人気がある。また藤子漫画はそれまでシリアス志向の強い作品が多かったが、これを機に『ギャグ漫画の藤子不二雄』として広く認知されるようになってゆく。

『オバケのQ太郎』の5年後に主に藤子・F・不二雄(藤子F)が描いた『新オバケのQ太郎』や、オバケのQ太郎の後日談的な話の『劇画・オバQ』という作品もある。

『新オバケのQ太郎』以後は、コンビ解消まで藤子F、藤子Aがそれぞれ個別で描いた作品を藤子不二雄の共同ペンネームで発表する形になっており、本作が藤子不二雄の事実上最後の合作作品である。

★★★★★天才バカボン (YTV) >> 詳細説明はこちらから
<<天才バカボン>>
「おそ松くん」でギャグ漫画の漫画家として不動の人気を得た赤塚不二夫が、続けて書いた作品。初出は、1967年4月9日発行の「週刊少年マガジン」である。「バカボン」の語源には諸説あり、「バカなボンボン」から由来する説(赤塚自身こう説明していた時期があり、少年マガジンの新連載告知でも同様の記述がみられる。なお「ボンボン」は関西弁で「坊ちゃん」の意)、「バガボンド=放浪者」からきたとする説、そして仏教語の「婆伽梵=釈迦」からきているという説もある。ちなみに1993年に赤塚本人がテレビ番組で「バガボンド説」を言っているが(元々「天才バカボンド」というタイトルの予定であったため)、「だからパパは無職でなくてはならない」とも言っており、バカボンではなくパパを基準にしているところが疑問でもある。バカボン一家の居住地の設定は、赤塚不二夫自身の事務所「フジオプロ」がある東京都新宿区下落合。アニメ版では確認できないが、コミック版ではこのことに幾度も触れており、実際に下落合界隈に存在する店舗名もしばしば登場する(赤塚自身も「下落合焼とりムービー」という映画を制作している)。

その後、週刊少年サンデー、週刊ぼくらマガジンと連載雑誌の断続的な切り替え等を行い、1976年12月5日発行の「週刊少年マガジン」で一応の完結を見るが、その後も登場人物の抜群のキャラクターぶりを発揮して、現在に至るまで単なるギャグ漫画の枠を越えた、単行本、テレビ、CM等各種メディアに多数出演しており、その全貌を把握することは困難である。また作品自体も、何度かにわたりコミックボンボン等で再執筆され、コミックボンボンでは2006年12月号まで傑作選が掲載されていた。傑作選は当時の再録だが、時代にそぐわないセリフや過激な下ネタ等が差し替えられていた。

そして欠かすことができないのが、この作品のアニメ化である。4回にわたりアニメ化され、世代を通じ子どもたちを中心に爆発的な人気を得るようになり、現在もその人気は不動のものであると言える。

天才バカボン(よみうりテレビ・東京ムービー、1971年9月25日〜1972年6月24日、全40回)
元祖天才バカボン(日本テレビ・東京ムービー、1975年10月6日〜1977年9月26日、全103回)
平成天才バカボン(フジテレビ・スタジオぴえろ、1990年1月6日〜同年12月29日、全46回(*1))
レレレの天才バカボン(テレビ東京・スタジオぴえろ、1999年10月〜2000年3月、全24回)
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アメリカン・ニューシネマの代表的作品紹介(その2)

『いちご白書』-The Strawberry Statement (1970)
(監督:スチュワート・ハグマン 出演:ブルースデイヴィスン/キム・ダービー)
学園紛争に引き裂かれていく男女2人の恋。

『ファイブ・イージー・ピーセス』-Five Easy Pieces (1970)
(監督:ボブ・ラフェルソン/出演:ジャック・ニコルソン)
裕福な音楽一家に育ちながら、他の兄弟とは異なる流転の青春を送る男の心象を淡々と描く。エンディングがアメリカン・ニューシネマ的な印象的な作品。

世界の映画の中心地・ハリウッドの歴史紹介

1903年、当時農村だったハリウッドは市制を施行するが、1910年にロサンゼルス市と合併した。20世紀のはじめのこの頃、映画の中心地はニューヨーク(ニュージャージー州フォート・リー)とシカゴであった。

特許をめぐる争いが発端となり、当時の大手映画製作者や映画関連機器製造業者、製造業者ら9社はそれぞれの特許を持ち寄って管理するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー を1908年に設立した。これに参加しない映画関連業者にはカンパニーから高額の特許料が請求された。

参加が認められなかった中小の制作者らは一斉にこれに反発。特許料を払わずに買えるヨーロッパ製の機器やフィルムを使って撮影を続行した。

カンパニー側は探偵を雇って違反者を片端から摘発したため、独立系の制作者はカンパニーの目のとどかぬ土地に出かけて映画を制作した。

中でもロサンゼルス一帯は気候もよく、映画の撮影には理想的で、映画人が集まり始めた。又、この地はメキシコに近く、カンパニー側の追っ手がやってくる事を察知して国境を越えて逃げる事が出来た。

なお、カンパニーは1912年に反トラスト法違反であると指摘され、1915年には連邦裁判所で反トラスト法違反であるとされた。カンパニーは1917年には消滅し、これに前後してカンパニー参加業者らも次々にハリウッドに拠点を移した。

当時アメリカ経済の中心だった東海岸は天候が悪かった。当時の映画は、フィルム感度の問題から屋外のような明るい場所でしか撮影出来なかった。

電球などの照明はあったが、映画撮影を行うには十分な明るさを確保出来なかった。そのため映画会社は、日が長く、地中海性気候のため夏にまばゆい太陽が輝くカリフォルニア州に次々に移っていった。

最初のハリウッドの映画スタジオは、1911年にネストール社が建てたものである。同じ年に、さらに15のスタジオが建てられた。

まだ民族差別の激しかった時代のハリウッド・スターや監督達は、出自を偽る事が多かった。当時はまだワスプがアメリカの支配層であり、イタリア系やユダヤ系などの真の出自を表に出してはスターにはなれなかったからである。

2007年09月27日

なつかしいアニメ放送作品の紹介その2

アニメ三銃士(1987年10月9日〜1989年2月17日)  >>詳細はこちら

☆青いブリンク(1989年4月7日〜1990年3月16日) >>詳細はこちら

ふしぎの海のナディア(1990年4月13日〜1991年4月12日)  >>詳細はこちら

ひみつの花園(1991年4月19日〜1992年3月)  >>詳細はこちら

☆お〜い!竜馬(1992年4月7日〜1993年3月30日) >>詳細はこちら

モンタナ・ジョーンズ(1994年4月2日〜1995年4月8日)  >>詳細はこちら

☆NHKアニメ劇場(土曜 19:30〜19:55)
☆火の鳥(2004年4月〜6月)  >>詳細はこちら

☆アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル(2004年7月〜2005年5月)  >>詳細はこちら

雪の女王(2005年5月〜2006年2月)  >>詳細はこちら

☆ジミー・ニュートロン 僕は天才発明家!(2006年2月〜2006年3月)  >>詳細はこちら

☆少女チャングムの夢(2006年4月〜12月)  >>詳細はこちら

SAMURAI 7(2006年4月7日〜9月)  >>詳細はこちら

☆メジャー(集中放送)(2006年8月5日〜10日)  >>詳細はこちら


現在放送中の番組
☆ロビンソン一家漂流記(2007年10月〜(地方局のみ))  >>詳細はこちら
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2007年09月26日

なつかしいアニメ放送作品の紹介(日本テレビ系)

管理人が感動した作品の勝手な評点(観ていない作品は★1個とします。)
1970年代
1970年
★★★★★男どアホウ甲子園 >> 詳細説明はこちらから
<<男どアホウ甲子園>>
原作:佐々木守、漫画水島新司野球漫画、及びそれを原作としたテレビアニメ。『週刊少年サンデー』で1970年8号 - 1975年9号に連載されていた。1970年 - 1971年にアニメ化。その後、1999年36・37号に復活連載された。第19回(昭和48年度)小学館漫画賞受賞作品。



★★★★★いじわるばあさん (YTV) >> 詳細説明はこちらから
<<いじわるばあさん>>
長谷川町子が、サンデー毎日(雑誌)に1966年1月2日号から1971年7月18日号まで連載した4コマ漫画作品。意地悪なおじいさんを主人公とした(日本以外での)作品があり、これに触発されて誕生した。

「いじわるばあさん」または「意地悪ばあさん」のタイトルで何度もテレビドラマ化され、テレビアニメ化も何度か行われた(本項目にて後述)。特に青島幸男主演のテレビドラマは人気が高かった。但し作者である長谷川町子は、漫画作品とは別と考えており「あれは青島幸男による青島ばあさんです」と述べるなど、アニメの『サザエさん』同様テレビでの登場を快く思っていなかった節がある。

なお、アメリカでも、「Granny Mischief」というタイトルで翻訳出版されて人気を博した。なお、出版の際、一部のコマが左右反転された。

また、平成13年度の立命館中学校の入試問題で出題されたことがある。
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なつかしいアニメ放送作品の紹介(日本テレビ系)NO1

管理人が感動した作品の勝手な評点(観ていない作品は★1個とします。)

1960年代

1966年
★とびだせ!バッチリ >> 詳細説明はこちらから

1967年
★★★★★黄金バット (YTV) >> 詳細説明はこちらから

1968年
★★★★★巨人の星 (YTV) >> 詳細説明はこちらから
<<巨人の星>>
主人公の星飛雄馬は、父一徹により幼年時から野球のための英才教育を施される。プロ野球読売ジャイアンツに入団後、ライバルの花形満や左門豊作らに大リーグボールを武器に戦う。梶原一騎原作・川崎のぼる作画。



1969年
★★★★★男一匹ガキ大将 >> 詳細説明はこちらから
<<男一匹ガキ大将>>
男気のあるガキ大将戸川万吉がケンカを通じて次々に子分を増やしていき、ついには日本中の不良を従える総番にまで登りつめ日本を動かす男となるストーリー

本宮自身は既にストーリーを出し切ってかなり早い段階で終わらせようとしていたのだが、当時人気絶頂だったためジャンプ編集部に終わらせることを許されず、無理矢理続きを描かされていたという(原稿の最後に「完」と書いたのに、当時の担当編集者だった西村繁男が独断で修正液をかけてその部分を消したことを、西村自身が自著で語っている)。そのため、1995年に出た文庫版では本宮の「読み返す気になれない」と言う意向で後半は収録されることはなかった。ちなみに後半では原油価格の急騰に抗するため、全国の不良達を率いて中東まで直接原油の買い付けに向かっている。

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日本のテレビドラマに対するコメント(その2)

最近のテレビドラマは、一時期一世を風靡した『トレンディードラマ』という路線からは離れて、キー局独自のイメージを持つ作品も増えてきた。

07年の4月期から新設された、フジテレビ系列の土曜深夜枠(11:10PM〜)では、コミック原作の作品を選び、ティーン層からF2層を狙った『ライアーゲーム』や、同じく『ライフ』が放送されているが、いずれの作品も、2回目の視聴率が初回の数字を上回り視聴者層の獲得に成功した良い例となるだろう。

また、日本テレビ系列が火曜日午後10時枠に設けたドラマ枠は、本来であれば2時間のドラマ枠だったところを、2つの時間帯に分割し、遅い時間帯をフジテレビと同じようにティーンからF2層を狙って作品を選択しているが、こちらはいま一つ数字に結びつかないでいる。

そして、ドラマ化された作品が、映画化されるケースもこのところの特徴の一つ。ドラマ化→映画化→ドラマ化という作り方や、単発ドラマ化→シリーズ(連続ドラマ)化→映像化など様々な形態はあるが、いずれもヒット予想を見込んで、あるいは映像化で更なる収入を得たいテレビ局の思惑も複雑に絡んでいる。
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2007年09月25日

ニューシネマの誕生とその特徴についての考察

1940年代までの黄金時代のハリウッド映画は、「観客に夢と希望を与える」ことに主眼が置かれ、英雄の一大叙事詩や、夢のような恋物語が主流でありハッピー・エンドが多くを占めていた。

1950年代以降、スタジオシステムの崩壊やテレビの影響などによりハリウッドは制作本数も産業としての規模も凋落の一途を辿り、また「赤狩り」が残した爪痕などにより黄金時代には考えられなかった暗いムードをもった作品も続きを読む

世界の映画界をリードするハリウッドとはこんなところ!

ハリウッド (英語:Hollywood) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のロサンゼルス市にある地区。映画産業の中心地。アメリカ映画界の事を指してハリウッド映画とも呼ばれる。

Hollywood とは Holly(柊)の森という意味だが、Holy(聖)との誤解から「聖林」と訳されそれが定着してしまった。柊が生えていないのに何故ハリウッドと呼ばれるようになったのかは未だに謎である。

ハリウッドサイン
ハリウッド地区を象徴するサインHOLLYWOODは世界的に有名である。晴れた日には40〜50キロ離れたところからでも見える。
このサインは、1923年に「HOLLYWOODLAND」という不動産会社の広告として、一文字が高さ14m(45フィート)幅9m(30フィート)もある「HOLLYWOODLAND」という文字に、4000個の電球が取り付けられ、当時の金額で21,000ドルをかけて製作されたものだった。

広告の保守・管理が1939年にやめられたため、長年風雨にさらされ「LAND」の部分が破損、美観を損ねるということで1949年に地元の商工会議所が一般からの寄付を募り、4,000ドルを費やし破損した部分を撤去した。やがて残された部分も傷みがひどくなり、1973年に28,000ドルの寄付を募る事により全面改修を計画。

1978年にはハリウッド・サイン基金(Hollywood Sign Trust)が設立された。同年ヒューズ・ヘリコプター会社、パシフィック・アウトドア広告会社、ヒース看板会社が共同で元々のサインを解体、同じ場所に鉄骨造りで、現在見る事が出来る「HOLLYWOOD」のサインを建てたのである。

2007年09月24日

なつかしいアニメ放送作品の紹介その1(NHKアニメ)

未来少年コナン(1978年4月4日〜10月31日) >>詳細はこちら
 
キャプテンフューチャー(1978年11月7日〜1979年12月18日) >>詳細はこちら

アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険(1979年4月7日〜1980年4月5日) >>詳細はこちら

☆ニルスのふしぎな旅(1980年1月8日〜1981年3月17日)  >>詳細はこちら

☆名犬ジョリィ(1981年4月7日〜1982年6月22日)  >>詳細はこちら

☆太陽の子エステバン(1982年6月29日〜1983年6月7日)  >>詳細はこちら

☆へーい!ブンブー(1985年〜1987年(再放送分含む))  >>詳細はこちら
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テレビアニメ放送に関する苦情が相次ぎ、「表現規制」につながった?

2001年に成人ゲーム原作の『らいむいろ戦奇譚』を、編成上の都合で夕方6時から放送した兵庫県独立U局・サンテレビに苦情が殺到し、第三者機関の放送倫理・番組向上機構(BPO)から回答要請を受けるという事があった。

なお、この件が関係しているかは不明であるが、この時期を境に、全国各地の地方局などでの夕方時間帯における新作アニメ枠は、編成を取りやめる局が相次いだ(逆に、昭和60年代以前の作品を再放送する枠を設けた局もある)。
この件については、苦情のリスクのある新作アニメを止めて、過去に高い評価を得ている(=苦情の恐れの無い)名作アニメを多く放送しているのでは、と見る人もいる。

ただし、TOKYO MXのようにテレビ東京の『アニメ530』続きを読む
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アメリカン・ニューシネマの代表的作品紹介

『俺たちに明日はない』-Bonnie and Clyde (1967)
(監督:アーサー・ペン 出演:ウォーレン・ベイティ/フェイ・ダナウェイ)
世界恐慌時代の実在の銀行ギャング、ボニーとクライドの無軌道な逃避行。ニューシネマ第1号作品。

『卒業』-The Graduate (1967)
(監督:マイク・ニコルズ 出演:ダスティン・ホフマン/アン・バンクロフト/キャサリン・ロス)
年上のロビンソン夫人に肉体を翻弄される若者ベンジャミンの精神的葛藤と自立。サイモン&ガーファンクルの『ミセス・ロビンソン』や『サウンドオブサイレンス』も印象的。

『ワイルドバンチ』-The Wild Bunch (1968)
(監督:サム・ペキンパー 出演:ウィリアム・ホールデン/アーネスト・ボーグナイン/ロバートライアン
西部を荒らしまわる盗賊団ワイルドバンチの壮絶な最期。

『イージー・ライダー』-Easy Rider (1969)
(監督:デニス・ホッパー 出演:ピーター・フォンダ/デニス・ホッパー/ジャック・ニコルソン)
社会的束縛を逃れて旅を続ける若者たちに迫る迫害の手。

『明日に向って撃て!』-Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969)
(監督:ジョージ・ロイ・ヒル 出演:ポール・ニューマン/ロバート・レッドフォード/キャサリン・ロス)
西部を荒らしまわった実在のギャング、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの友情と恋をノスタルジックに描く。

『真夜中のカーボーイ』-Midnight Cowboy (1969)
(監督:ジョン・シュレシンジャー 出演:ジョン・ヴォイト/ダスティン・ホフマン)
ニューヨークの底辺で生きる若者2人の固く結ばれた友情とその破滅に向う姿を描く。

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半 - 70年代にかけてアメリカで製作された

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半 - 70年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す。英語では”New Hollywood”がこれを指す。

1967年12月8日付けの「タイム」誌は、『俺たちに明日はない』を大特集し、派手な見出し「ニューシネマ 暴力…セックス…芸術! 自由に目覚めたハリウッド映画」という記事の中で新しい米国映画の動向をレポートした。
『俺たちに明日はない』 >>
<<あらすじ>>
1930年代のクライド・バーローとボニー・バーカーの実話を元に描かれている。

クライド(ウォーレン・ビーティ)がボニー・バーカー(フェイ・ダナウェイ)の母親の車を盗もうとする場面から映画は始まる。
ボニーはクライドの非合法的な振る舞いに興奮させられ、そして、彼は彼女の面前で店から掠奪をすることで、彼女をさらに刺激する。

クライドはボニーを引き連れて車を掠奪し、彼らの伝説的な犯罪を行い放題が始まる。2人は町から別の町まで渡り歩き小さい強盗をやってのける。

彼らがクライドの兄バック(ジーン・ハックマン)と彼続きを読む

アニメの表現規制について

全般的に漫画などの書籍と比べて、テレビアニメにおける表現規制は古くから厳しい傾向が見られる。お色気・暴力・流血絡みに留まらず、登録商標などに関しても同様である。

それでも1980年代末頃までは、キー局制作の全日帯アニメでも公然とお色気シーンを多用した番組が多く存在したり(ただ放送時間帯的に卑猥なものではなく、むしろ健康的なエッチさを売りにしていた作品が多かった)、中には女性の乳首まで露出した番組(フジテレビ系で放送された『うる星やつら』『らんま1/2』の初期など)も存在していたほどであった。

また、暴力・流血描写に関しても、1980年代半ばにフジテレビ系列で放送された『北斗の拳』が、過激なシーン(人体破断・爆裂など)をシルエット演出などで残虐表現を比較的抑え目にしていたとはいえゴールデンタイム帯に放送されていたほどであった。

しかし、1990年代に入ってからこのような表現に対してPTAなどからの抗議が集中するようになり次第に表現規制が厳しくなりだしていった。

そこに追い打ちを掛けたのが、1997年12月に発生した、いわゆる「ポケモンショック」である。

この“ ポケモンショック ”を教訓続きを読む
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2007年09月22日

日本のテレビドラマに対するコメント(その1)


ItMedia「日本のドラマは論外 希薄なテレビ業界の意識」でアメリカ人タレントのデーブ・スペクターは「米国に比べると日本のドラマは論外。演技も良くないし、ストーリーに工夫がない。アクションも白々しい。ドラマの質や現実感とは関係なく人気モデルなどを起用し、力のある芸能プロが売り込む俳優やタレントを使わざるを得ない業界構造がある。それでは本当にいいドラマは作れない」と言っている。

【管理人のコメント】
 確かに、国民に対するメディアの影響は大きいし、また、国民側からすれば、テレビ放送の初期の頃は、放送番組への視聴誘導が行われていたと言っていいと思う。
 しかし、最近は、ケーブルテレビ、多重放送や、BS放送など、国民側からすると視聴番組をチェックするだけでも大変な時間と労力を費やさざるを得ないくらい、豊富な番組が組まれている。
 地方放送局は大手の放送局の二番煎じを放送している実状はあるが、国民の番組への選択肢が広がっている事実があり、国民側からすると、予算をかけないから番組がつまらないとは感じないと思う。
 要は、内容ではないか?
ただ、視聴者側からすると、常にメディアに振る舞わされるのではなく、もっと主張出来る環境作りが必要かも?

「米ドラマは制作に潤沢な予算と時間をかけている。地上波放送やDVD化など先々の展開を考え、最高の脚本家とキャストを集め、完成度の高いドラマを作っている。当然おもしろくなるし、世界中で売れる」という。総じて日本のテレビドラマのレベルが低く、ドラマというよりはタレントやCDの宣伝になっている事を批判している。

ただし、この件について指摘する意見は目新しいものではない。基本的に日本の映像メディア全般が低予算で製作されており、世界に誇るアニメーションにしても実写よりも低予算で製作できるという条件で発展した状況がある。

基本的に娯楽を低く見る国民性であり、放送局にしても文化的な映像メディアよりも低予算で視聴率が稼げるバラエティを志向するといった問題もある。また、日本の実写作品はアジア人が出ているというだけで視聴されないという状況もある為、(韓国や香港、台湾のドラマも同様)英語圏全体で商売可能(故に潤沢な予算をかける事も可能)なアメリカの状況は単純に比較の対象となりえない。また、前述の都合で英語圏では商売にならない日本のドラマも香港や台湾といったアジア各地では視聴されており、『ドク』や『西遊記 (フジテレビ系テレビドラマ)』といったアジア市場を意図した作品も制作されている。
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2007年09月09日

テレビドラマの歴史




♪テレビドラマの歴史♪

テレビの撮影機材1941年にテレビの実験放送で放送された『夕餉前』が日本初のテレビドラマとされ、1953年に本放送が始まってからのテレビドラマはしばらくは生放送で行なわれた。

言わばテレビ局のスタジオの一角で行なわれる小規模な芝居の劇場中継である。

ビデオは1956年にアメリカ合衆国で2インチのビデオが開発され、日本に初輸入されたのも国産のビデオが開発されたのも2年後の1958年だったことによる。

その1958年にはKRT(現TBS)がフランキー堺主演の『私は貝になりたい』を放送した。

その年の芸術祭に参加し、それまで「電気紙芝居」と酷評されたテレビドラマが初めて人を感動させたとしてテレビドラマ史上に残る名作と位置付けられているこのドラマは、技術的にもビデオ録画が導入された先駈けともなった。当初はビデオ機材もビデオテープも高価だったが、ビデオはやがて普及していき、ドラマも生放送から収録に変わっていった。

1970年代までにビデオテープで収録されたテレビドラマの中には、原盤ビデオテープが別の番組撮影に使われ上書きされたことにより、映像が失われたものも少なくない。

また、当初は撮影機材は大きく、カメラの感度は低く、照明を煌々と照らしたスタジオ内で演技するより他なく、屋外の情景はスタジオ内でのセットで再現した。
どうしても屋外でのロケが必要な場合は、ビデオでの撮影を諦めて、映画フィルムで撮影することもあった。

かつて多く制作されたいわゆるホームドラマはこうした技術的制約の苦肉の産物でもあった。

NHKのドラマはNHKで全て制作していたのに対して、民放では1950年代から外部の制作会社が制作したテレビドラマを放送した。それらは当初「テレビ映画」とも称され、劇場映画を作ってきたスタッフが制作にあたり、撮影もフィルムで行なわれた。大手では、1959年には東映が出資したテレビ局NETで、1962年には新東宝を前身とする国際放映がTBSでテレビ映画の制作に進出している。

特撮ものは合成などのノウハウが蓄積されているフィルムでの撮影が主となっていた。

1970年代も半ばを過ぎると、これまでのビデオカメラのコストと技術的制約もなくなり、フィルムからビデオでの撮影に徐々に移行することとなった。

フィルムが必要とする現像の手間以外だけでなく、ビデオ編集用の機材の発達と何よりもコストの問題で、映画会社系の制作会社もビデオ撮影を採用し始め、1990年代後半からフィルムで撮影されたドラマは激減。

2000年代初頭には、刑事ドラマや時代劇もビデオ撮影に移行して、フィルム撮影はほぼ姿を消した。2005年現在、地上デジタル放送への移行期を迎えて、ビデオでの撮影もNTSCからハイビジョンで収録するものが増えつつある。

そのため最近ではアナログ放送で放送する場合、NHKのドラマ全般(2005年4月〜)やテレビ朝日の木曜9時のドラマと金曜ナイトドラマは上下に少し黒帯の付く13:9のワイド画面で放送したりする。また日本テレビ(2005年7月〜)とTBS(2004年10月〜)やフジテレビ(2004年1月〜)などでは上下に若干黒帯が付く(ブラウン管テレビでは見えない)。

テレビ朝日の木曜9時ドラマと金曜ナイトドラマ以外については両端をカットして放送しているためアナログ放送の画角4:3画面いっぱいで放送される。

またフジテレビでは、アナログ向けとデジタル向けで別の収録テープに分けて放送している(画角に合わせてエンドロール等のテロップの位置を変えてある)そのため地方局での再放送や他系列放送の場合、機材の都合上ハイビジョン製作でも標準画質でしか放送できない。
posted by abelu at 21:32| Comment(0) | TrackBack(2) | テレビドラマの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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